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Channel: 中村 仁 | アゴラ 言論プラットフォーム
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「138億年の音楽史」には驚いた

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138億年の音楽史 (講談社現代新書)

 

 

地球誕生から何十億年とか、想像を超えた尺度で歴史を考える本が時々、刊行されます。そんな時、近著「138億年の音楽史」(現代新書、浦久俊彦著)を書店で見つけ、思わず手に取りました。宇宙や地球の起源を何十億年前、100億年前までたどるというのならともかく、「音楽史」に限り「138億年前」から書き始めるとは驚きました。

巻末に載っている何百冊もの参考文献を読み漁り、筆者独自の音楽論を構築しました。「138億年」というのは、ビッグバン宇宙論によって、宇宙に始まりがあることが分かり、それが「138億年前」というのです。著者は「大爆発、大音響だった。とてつもない重低音だったようだ」と、指摘します。

宇宙は真空で、空気の波である音は伝わりようがない。そいういう反論に、著者は「ビッグバン直後の宇宙は原子大気が満ちていて、振動を伝えたらしい」と想像します。「はじめに音があった」。こうなると、想像か空想の世界でしょう。旧約聖書の創世記の書き出しも、神が「光あれ」といったから始まりますから、どこか似ています。

音楽は宇宙のハーモニーの縮図

第1章は「宇宙という音楽」です。「はるか昔、空にまたたく星の周期的な動きに、壮大な音楽を聴こうとする人々がいた。宇宙の調和と秩序が奏でる天空のシンフォニー」。宇宙論から考える波動と音とは別に、インド哲学の音楽観には、「音楽は全宇宙のハーモニーの縮図」という考え方があると、筆者はいいます。

私がこの新書を買ったのは、モーツアルトの曲をかねがね聴きながら、勝手に想像していたようなことが書かれていたからです。モーツアルトの交響曲には、宇宙や天空を見上げながら、銀河や星の瞬き、流れ星の航跡を見つめ、それを音楽にしたような感懐にとらわれるものが少なくないのです。清澄できらきらした多くの曲想は、天空でのドラマを直感したのです。

モーツアルトが作曲した楽譜には、ほとんど推敲、訂正、修正の痕跡がないそうです。私の想像は、宇宙や天空の間には実際に音が流れており、モーツアルトの耳はそれを聴きとれたのではないか。凡人はもちろん、聴きとれません。モーツアルトはそれを聴き取って、そのまま楽譜に書いたから修正もないのです。そう思うのは楽しいことです。

雅楽は音楽というより宇宙の響き

ある有名な雅楽師の話を聞いていましたら、似たようなことをいっていました。「しょうは天の光、篳篥(ひちりき)は地、龍笛は天地の間の空を描写した」と。浦久氏の著書でも、「三種の楽器が天・空・地を示している。雅楽はとても音楽には聞こえない。雅楽の独特の音世界は、音楽というより宇宙の響きなのだ」。そう考えると「138億年史」もありうるのでしょう。

モーツアルト、ベートーベンらのクラシック音楽について、著者は「ヨーロッパ世界の中でも、限られた地域、それもたった2世紀をいう限られた時代の音楽すぎない」と、指摘します。「世界をジャンルに分ける視点ではなく、ジャンルを超えて調和させる視点、クロスオーバーの視点が必要だ」と、いいます。

目次を紹介すると、「宇宙という音楽」、「神という音楽」、「感情という音楽」、「理性という音楽」、「自然という音楽」など、実に幅広い分野に音楽論がまたがっています。なるほど、これがクロスオーバーなのですかね。

鳥類の音楽的感性を測定できる

「鳥類は高度な音楽的感性を持ち、作曲している。ツグミの2秒間のさえずりを再生してみると、50から100個の音符、25から50回のピッチ変動で構成されている。ウタスズメは20曲の異なる歌を作曲する」といいます。仲間で情報交換しているようでもあり、警戒信号を発しているようもでもあり、楽しんでいるようでもあり、なのでしょうか。

人間ばかりが音楽を作るのではない。宇宙にも、神とのコミュニケーションにも、自然の四季にも、音楽、あるいは音が存在している。そう考えて、クラシックを聴いたり、楽器を弾いたりすると、また違った意味の音楽を見出すのでしょうね。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2016年8月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。


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